こんにちは、ピカリンです。

 
最近YOUTUBEで各地上波公式チャンネルが公開されてきてますよね。

どうしてもテレビではダイジェストにせざるを得ないニュースですが、YOUTUBEでは長くじっくりと取材状況や解説などが公開されています。そして各支部の記者達の個性もよく出ていて、同じ内容の取材でも伝え方が千差万別で興味深いです。

その中でも2022年ボーン・上田記念国際記者賞を受賞したTBSの須賀川拓記者の取材を特に興味深く見てました。興味があればTBS公式チャンネルを見ていただければと思いますが、この記者の報道姿勢に共感できる部分が多く、特に動画でよく言っている「(日本人の一般人が)戦時下の人たちに自分は何ができるか?とよく聞かれるのですが、忘れないという事が重要だと思います」というメッセージ。例えば、お店でアレッポの石鹸を見てシリアの事を思ったり、ペルシャ絨毯を見て中東を思い出すだけでもいいという事でした。

すごく共感できるし、大切な事だと思います。
 
という事で、今回私はウクライナ人の子達との思い出を書こうと思います。
※場所が特定できそうな内容は伏せさせていただきます。

交流したのは、留学先の大学でした。日本人は全員個人留学でしたが何ヵ国かは国か学校の国際交流で団体で留学に来ていました。

その中の国にウクライナがあり、20代前後の男女が十数人いました。
集団になると大抵自国で固まってしまうので、教室外での交流はあまりなかったのですが1人女の子で仲良くしていた子がいました。

「日本も好きよ」と日本の雑誌をよく見ていると言っていて、教室外や課外授業時などによく話してました。ただ他の子も話せば普通に話をするし、みんな穏やかな子達だったという印象です。

 ある日男の子が財布からお金を落としたので拾ってあげて、
「お金落ちたよ、これウクライナのお金?」と聞いたら、
「そう、あげるよ」と言ってくれたので、こっちも持ってた日本硬貨をあげました。
 今でも紙幣を見ては、その時の事を思い出します。
 
 話を戻して、この女の子との最大の思い出ですが・・・時効という事で。
とある試験を受けに行った時、たまたま隣の席がその子になって、
「あ、ピカリンと一緒ね」とニコリとされました。
 席は個々に仕切りがあって区切られていたわけですが、試験が始まりしばらくすると・・・

「ピカリン」
「何?」
「消しゴム貸して」
 と。はいよ、貸すと仕切りの真ん中に置いて、
「使うからここに置いておいて」
 とニコリ。もーしょがないなぁ。と試験中に貸し借りという状態で試験続行。
 そして試験終了後、
「(試験)どうだった?」
「全然分かんなかった」
「ははは、そっか」
「だからピカリンの見て書いた(ニコッ)」
「(おい!)」

 堂々と覗き込んでいた事になるのですが・・・ま、試験官によく見つからなかったね、多分共倒れだったぜ、と思った次第です。
 
彼女とは連絡先だけ交換して、それ以降は特に交流はしてなかったです。
クリミア侵攻の時に「大丈夫?」と送ったら、「大丈夫だよ、何が?」という返事だったので知らされていなかったように思います。今回も連絡が取れ「あなたの心に寄り添っているよ」と送り「ありがとう!」と返って来ました。とにかく無事だった事が分かっただけでよかったです。幸い彼女自身は他国で結婚しウクライナにおらず無事な事が分かりましたが、家族はキーウ(キエフ)です。そして他の子達特に男性はもしかしたら今戦場で戦っているかもしれません。

当時のみんなで撮った写真を見ながら、無事を祈り早く終結することを願うのみです。
 
みなさんも、ひまわりやウクライナ産のものを見かけたら、ウクライナを思ってもらえればと思います。


以上ピカリンでした。


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